エスキロール

パラノイア概念を提唱

 ジャン・エスキロール(1772~1840)もまたフランス革命の時代を生きたが、若い時期には神父を目指していたという人物で、父親が精神病院の経営陣にいたことが精神科医を目指した大きな契機であろうと思われている。特にピネルのような革命的精神の持ち主であったとは思えないが、ピネルの弟子になってからは、その学問的精神に忠実であった。エスキロールの学説に基づいて設計された数千床のシャラントン精神病院は、コの字型の同じ形の建物に一つの疾患の患者が入院し、それらの建物が整然と並んでおり、その分類精神をよくあらわしている(余談だが、マルキ・ド・サドは牢獄からこの精神病院に移され、約11年間の入院生活中に入院者の自己治療の方法iとして認められていた演劇上演を行った。フランス革命中の暗殺史実に基づく自作戯曲を入院者を俳優として自ら演出したi)。

 師の分類を更に詳細にしようとする試みを行った。ことにピネルの4大分類の中のメランコリーをあまりにカバーする領域が広過ぎると考え、それを気分の抑鬱を主症状とするリペマニーと、気分高揚を主症状とするモノマニーに分割した。前者は単極性うつ病にほぼ相当するが、後者は妄想状態と反社会的行動を包括する概念であった。彼の主張である「モノマニー論」とは、パラノイアを部分的狂気として説明しようとするものである。エスキロールがパラノイアとしたのは、今日、もっぱら妄想と結びつけられるパラノイア概念とはかなり異なる。エスキロールは、客観性のない妄想的信念を修正できなくなった状態がパラノイアであり、それが重症化すると、現実と妄想の区別がつかない状態となり、衝動的行動や反社会的行動を抑制することができなくなる、と考えた。エスキロールがいうパラノイアとは、社会に非適応的な妄想的思考が執拗に侵入する病的状態であり、今日の妄想性障害から反社会性パーソナリティー障害までを包括する大きなカテゴリーである。

 エスキノールは、パラノイアを、知的能力は損なわれていないにもかかわらず、善悪・社会常識の判断ができなくなる部分的狂気として位置づけた。パラノイアは、部分的狂気として位置づけられる。この部分的狂気をモノマニーというのであり、制御困難を呈している機能によって、『殺人モノマニー・本能モノマニー・色情モノマニー・感情モノマニー・知的モノマニー・窃盗モノマニー』などに分類した。エスキロールは、犯罪者について、生得的な気質に帰せられる部分と、損なわれていない知的能力による判断に基づいている部分とがあり、この割合は個々のケースで検討されなければならないとした。

ヤスパース「記述的精神医学の基礎を構築した」評

 日本ではあまり知られることのないエスキロールであるが、ヤスパースは精神医学の曙をピネルにではなく、「記述的精神医学の基礎を構築した」としてエスキロールに冠した。エスキロールは統計的手法を取り入れ、病状の標準的な経過を明らかにしようとした。ヤスパースによれば、19世紀の半ばまでは、精神医学は精神病院の臨床医によって推進されたが、19世紀に大学医学部に研究の主体が徐々に移行して行った。それによって学術的には純化し、他の学問分野の成果を取り入れるというように水準を上げていったが、それまでの病院精神医学のヒューマニズムを失い、無教養なものとなるという損失もあった。エスキロールは自宅に10数人の患者を受け入れて寝食を共にしていた。ヤスパースは、このような患者と生活時間を共有していたことが、病院精神医学のややセンチメンタルながらも、症状の詳細な記述を可能にしたものであるとしている。

 この時代の精神医学はその情熱を精神疾患の分類に傾けていた。ピネル、エスキロールを擁するフランス精神医学がリードを保っていたとはいえ、彼らにも「国際標準」になるほどの影響力があったわけではなく、オランダやエディンバラ大学(イギリス)、モンペリエ大学(南仏)などでは、数十~数百に至る数の分類を行っていた。