エルンスト・クレッチマー(1888-1964)は、第一次世界大戦時に軍医の経験を持ち、後にマールブルク大学、チュービンゲン大学の教授を歴任した。1918年『新敏感関係妄想』でその動機と関連づけてパラノイアを論じ、大きな反響を呼んだ。クレペリン派は批判し、ヤスパースは限定付きで肯定し、シュナイダーは絶賛した。ドイツの伝統的精神医学の中では、ここに取り上げた4名の中で唯一クレッチマーのみがフロイト説に対して好意的であった。
 クレペリンは精神医学と脳科学の関係を重視しており、この点ではクレペリンに近い立場だったと言えます。ただ、ヤスパースと同様、症状だけしか見ないようになってしまうのは誤りだと考えていました。クレペリンは、身体・知能・性格など様々な視点から病者を見なければならないと考えていました。
 現代の精神疾患の分類体系は基本的にはクレペリン流の「重みを付けない症状の列挙」という形を取っていますが、クレッチマーの「色々な角度から一人の病者を見る」という考えは「多軸主義」というとらえ方に生かされていると言えます。
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体系と性格

 その後、1921『性格と体型』であまりにも有名な体型とパーソナリティーをセットにした分類を提案した。
 その後、クレッチマーは彼の分類を、精神障害から健常者のパーソナリティー分類にまで適用できるものとして構想し、肥満型、細長型、闘士型という主要な3つの体型とこれら3つの体型の亜系と考えられる発育不全型の合計4つを数えた。クレッチマーは、正常範囲内のシゾイド・パーソナリティーの特徴を極端にすると、統合失調症になると考えた(かつては、統合失調症のことは精神分裂病と言われていたので、これは、「分裂気質を極端にすると分裂病になる」という論理ということになる)。このように細長型を統合失調症に関連させたのと同様、そううつ病を肥満型に結びつけた。
 更に、クレッチマーは、「基本的反応4タイプ」(たとえば、爆発などの原始的反応)と命名した要因を加味した。結果的に、クレッチマーのパーソナリティー分類は6つとされることが多い。
1.神経質タイプ(N型)
 知性が高く、自分の内外に対する感受性が強く、内省過剰になりやすい。自分の内的反応を気にし過ぎて不安定になりやすい。
2.粘着質タイプ(E型)
 几帳面で義理堅い常識人。粘り強いが、ストレスを内側にため込んで忍耐を続けるので、ストレスを爆発させることもある。
3.顕示質タイプ(H型)
 我慢より発散を好む外向性を持ち、見栄っ張りで注目の的になっていないと気が済まない。流行に敏感で、社交の華。真の共感性を欠く未熟な性格。
4.偏執質タイプ(p型)
信念と自信の持ち主で、攻撃的でデリカシーを欠く。自分の都合のよい方に考えがちでその上に立って積極的に行動する。リーダーになりうるが、ただの傲慢人間にもなりうる。
5,分裂質タイプ(S型)
 非社交的で俗を嫌う貴族的性格。分析力・論理力を持つが、対人関係では冷たい。自分だけの世界を作って没頭し、自分をわかってくれる人は好くが、嫌いになれば全く興味を示さないなど好き嫌いが激しい。
6.循環質タイプ(Z型)
 高揚していると活発でユーモアに富み、社交を好むが、状況に左右されるので、思考に一貫性がない。周期的に沈み込む時期がある。

『性格と体型』当時のブームと今日の評価

 『性格と体型』は、その後改訂増補を加え、本国ドイツでは30版までにもなり、各国語にも翻訳された。ドイツ古典的精神医学の中で、唯一ちょっとしたベストセラーとも言えるようなヒット作だったのである。
 この成功ぶりは、日本に置ける血液型性格分類と同様に、体型からただちにパーソナリティー類型を決められるというわかりやすさのゆえに、「ヨーロッパ版血液型性格分類」のようなもてはやされかたをしたという見方も可能であろう。現代の研究者たちから、体型性格論は検討する価値すらないアバウトな理論として、研究史では必ず触れられても、実証的に検討する価値のない俗悪すれすれの空論とみなされているという点でも血液型性格分類に似ている。
 だが、「体格とパーソナリティーの間に結びつきがある」という主張そのものは価値なしとされたと言っても、クレッチマーはその後のパーソナリティー障害理論に大きな影響を与えた。それは、クレペリンが「病前性格」という概念で、統合失調症などの精神障害になる人は、発病前の性格にある共通性が存在することを指摘していたが、クレッチマーの構想は「健全なパーソナリティーから精神障害までには深刻度が高まるにつれてそのパーソナリティー特徴が徐々に極端になってゆくというスペクトラムが存在する」という壮大なものだったからである。人間のパーソナリティーを異常正常を問わず、シゾイド対サイクロイドという2大原理(あるいは、これに闘士型に対応するとされるてんかん気質のエピレプトイドを加えた3大原理)で考えるという発想は後世に大きな影響を与え、ことに現代精神医学でもシゾイド・スペクトラムは論争の的となる概念である。
 クレッチマーは、最初は、分裂気質と循環気質を正反対の傾向(内向性と外向性)を持つパーソナリティーの両極と考えた。マイケル・ストーンは、このうち分裂気質を今日のDSMⅣのシゾイドパーソナリティー障害の概念をほとんど先取りしていると評価している。
 また、体型とパーソナリティーを結びつける発想の背後には、精神症状のコレクションに努めて厳密な境界を持つ疾患単位を確立しようとするクレペリンに対抗して、精神症状のみならず、身体・体質まで障害の要因になっているさまざまな面をつなぎ合わせなければならないという多元的診断学の構想があったことも見逃せない。

戦後のクレッチマーの活躍 | 天才の研究 

 クレッチマーは、ナチスが権力を掌握した一九三三年に、反撥して国際精神療法学会の会長の座を辞任(後任はユング)している。このナチス非協力姿勢が評価されて、戦後はチュービンゲン大学教授に就任し、活躍を続けた。晩年は天才の研究も行うという幅の広さを見せた。