クルト・シュナイダーの経歴:反ナチス活動後、ハイデルベルグ大学教授に

 クルト・シュナイダーは、チュービンゲン大学医学部でクレペリン派ガウプのもとで学び、第一次世界大戦中は軍医を勤める。34歳よりヤスパースと生涯100通にわたる文通を始め、影響を受ける。1933年のナチス政権樹立後、シュナイダーは多くの大学からの招聘を固辞し市立病院で臨床活動に専念する傍ら、教授活動を禁止されていたヤスパースを支持する論文を発表し、公開のあてがないヤスパースの『精神病理学総論』改訂を補佐した。講演会でゲーテを引用するなどの間接的な形でナチス批判を行い、ゲシュタポに再三連行され、野戦軍の精神科医として仏露に3年間従軍させられるなど冷遇された。
 1946年、復権したヤスパースが反ナチスのドイツ人医学者としてシュナイダーを推挙し、ハイデルベルグ大学教授に就任。1945年に初版が出版さた『臨床精神病理学』は国際的な名声を獲得したが、アメリカでは、「統合失調症の第一級症状の提唱者」という限られた受容にとどまった。

クルト・シュナイダーの主要業績:統合失調症の一級症状

 「欝気分がある」は統合失調症の診断の決め手にはなりません。欝気分は気分障害でもありうるからです。シュナイダーは「統合失調症だけに特有」で他の疾患には滅多に見られない症状を統合失調症の一級症状としました(幻聴など)。それらは病気の本質的現象とまでは言えませんが診断の要となります。

画像の説明

 シュナイダーが一級症状としたのは

  • 思考化声
  • 論声が聞こえる
  • その人の行動に対して意見や批判が聞こえる
  • 身体に影響を与えられている体験
  • 思考が打ち消される
  • 他人の思考が押し付けられ、自分の思考に影響を受ける
  • 思考流出(思考が他者に伝わっている)
  • 妄想的知覚
     です。

シュナイダーの『臨床精神病理学』| 「精神病質」

 その後、ハイデルベルグ大学総長も務め、引退後も、死の直前『臨床精神病理学』に改訂を加え第8版を完成。現在では、アメリカでもクレペリンと並んで最も議論の対象となるドイツ古典精神医学の代表者とみなされている。なお、シュナイダーはフロイトに関心を持っており、精神分析運動には精神療法の一つとして発展を期していたようだが、その理論に対しては批判的な距離を保ち続け、自らの著作には一切取り入れなかった。シュナイダーは、精神分析学派はパーソナリティ障害という概念自体を認めていない、とみなしている。
 シュナイダーは、歴史上初めて、パーソナリティー障害というものを一つの疾患ジャンルとしてグルーピングした。もちろん、パーソナリティーの分類はドイツのハイマンズとウィルスマ(1906)のものやアメリカのマクドゥーガル(1908)のものなどそれぞれ8個に分類する試案が発表されていたが、それらはあくまで一般人を対象とするパーソナリティー分類である。精神医学が治療対象とする異常性格に限定し、それを一つのジャンルとして更に分類するという試みは、シュナイダーが改訂を重ねた『臨床精神病理学』(1950)の最終版で完成したのである。シュナイダーはこの「精神病質」ジャンルの定義を「そのパーソナリティーの異常性のために、本人か社会が悩むもの」とした。
 パーソナリティー障害研究史の中では、これは決定的な一歩であったと言えよう。ミロンは、その重要性を、「統合失調症・うつ病など、他の精神障害と異なるものとしてパーソナリティー障害を位置づけたこと」「『パーソナリティーの疾患』という統一的な原理でグルーピングしたこと」に見ている。

10個の精神病質 | パーソナリティ障害分野を確立したシュナイダー

 以下、シュナイダーの10個の精神病質を見てみよう。

  • 発揚性精神病質者
     基本的に楽しく活動的な気分をもち仕事も早いがおっちょこちょであり、仕事ぶりには信頼がおけない。批判精神がなく、自分に関しては単純素朴で、身近で現実的なことにしか関心が向かわない。バランスが取れている場合には、自然で素早い行動ぶりを示す。だが、中には落ち着きを欠き、何でも首をつっこもうとするトラブルメーカータイプもいる。何を体験しても底が浅い。しかし、気を取り直すのも早い。職を転々とする場合もある。非行傾向のある若者にみられる場合あるが、「すぐに頭を下げて反省するが、忘れるのも早い」という外見を示す。
  • 抑うつ性精神病質者
     いつも悲観的な気分に満たされており、喜びを体験する能力を欠いており、何に対しても悲観的で懐疑的な見方をしては、せっかくの物事を台無しにしてしまう。何か上手くいかない不幸なことがあった方が落ち着くことができ、外部にそれがなければ、自分の内部にそれを探す。現実の困難・悩み事があった方がまだしも気をまぎらわせることができ、それがなくなると自分の中にネガティブなものを探すわけだある。仕事に忙殺されていた方が悩みを感じないので職務に忠実だが、それを成し遂げたとしても達成感がやってくることはなく、すぐさま次の問題について悩み始める。義務を厳格に考える仕事人間なので一見活動的に見える。
     外的な苦労が去ると、今度は内面的な苦悩が浮上する、というように心が休まる暇がない。
     中には、「苦しんでいる自分はノーブルだ」として、周囲の「浅はかな連中」を内心見下している傲慢なタイプも存在する。だが、大きく分ければ、物静かで悲しげで人当たりのよいタイプと、「狂信者」と呼びうるような不幸マニアが存在し、後者は、「この世によいことなどあるはずがない」と決めつけ、他人に不幸があるとそれを喜ぶ。
  • 自信欠乏性精神病質者
     自己信頼が十分ではなく、不確実感を常に内に抱えている。「自分は何か間違ったことをしてはいないか」という疑惑のために心のやましさが絶えることがない。
     何らかのうまくいかないことがあると、まっさきに自分を責めようとする。「何か悪いことが起こるのではないか」という恒常的な不安の中にいて、生活を楽しむことができない。やましさを常に抱えている。シュナイダーは、このタイプは強迫性を発動しやすいと考えている。一次的なのは、不確実感からくる不安であり、その不安感が、何であろうと「心配のねた」を探し出すといった方がよい。その内容に関しては、個人の生活状況から了解できるものもあり、「もしかしたら、いきなり電車に飛び込んでしまうかも知れない」というような了解不能なものもある。
  • 狂信性精神病質者
     誇大的で活動的である。自分の権利を強硬に主張して好んで裁判を起こすような個人的狂信者や、自分の理想のために社会的闘争を行う理念的狂信者、また、ひとりで誇大な空想に浸る弱々しい狂信者などが存在する。
  • 顕示性精神病質者
     自分を実際以上によく見せかけようとする人たちであり、これは、しばしば虚言になることもある。一つのタイプは、「虚栄心の強い偽りのパーソナリティ」であり、他人の目を引こうとして奇妙な挙動を示したり、注目を集めるようなしゃべり方をしようとしたりする。
     他方では、これらのことを自己満足のために行うタイプも存在する。彼らは自分を実際以上に高く見せるために、空想的なことを話したり、実際には実現するはずのない役割を演じる。それによって利益を得るためではなく、その役割そのものが重要なのである。表向きには、人当たりがよくて、善人であることを装うことが多い。だが、周囲の人間の評価を得たかと思うと、次にはすぐにその見かけ倒しなところがばれて反発を買うなどして、持続的な人間関係を構築することが困難であることが多い。
     前者は、ヤスパースがヒステリー性格者と呼んだものであり、本当の自分の意見でもないのに、借り物の極論を吐いては他人の注目を集めようとしたりする。
     
  • 気分変性精神病者
     刺激に反応して興奮したり、落ち込んだりすることが周囲からは予想もつかないときに唐突に起こる人々である。この反応性の高さは、あるときは亢進し、あるときは緩和するが、それは外界の刺激の如何によらない内的な要因によっている。気分の変わりやすさがその本質であり、それによって仕事などのデューティーを放り出したり、大量飲酒に走ったりする。
  • 爆発的精神病質者
     クレッチマーのいう「原始的反応」に走る人である。些細な刺激によってたやすく興奮しやすい。その刺激が自分にとってプラスになるのかマイナスになるのか、というような合理的な判断を行う前に爆発してしまう、という気の荒いタイプである。
    調整欠如性精神病質者
    狂信・自尊心・プライド・道徳感情など持ち合わせていない人々で、活動的で粗暴である。冷淡で暗い印象を与えることが多い。このタイプの犯罪者は矯正不可能である。また、このタイプの中には、欲望に引きずられても無目的に反社会的行動を行うのではなく、自己の利益を上げようとして明確な意図性に基づいて行動するものもおり、そのような場合には、ずば抜けた能力を示すこともある。
  • 意志欠如性精神病質者
     他人からよい影響も悪い影響もたやすく受ける軽薄な人々である。周囲からの影響に対して批判力がなく、何でも受け入れ、誘惑されやすい。
  • 無力性精神病者
     シュナイダーは二つのサブタイプを認めているが、同時に現れることが多いとしている。
     一つは、「自分の心的能力が不十分である」と感じており、集中力・記憶力・作業能力・現実感の低下を訴える。少しでもうまくいかないことがあれば、不安を生じ、自己コントロールを堅持しようとする。彼らは、過剰な自己観察を行っており、それは、現代でいう離人体験となり、あらゆる体験が自分から遠い偽りのものと感じられたりすることがある。
     無力性精神病質者の第二のサブグループは、身体的な不全感に傾きやすく、常に注意を自分の身体に向け、普通の人々が周囲を向けないような一過性の不快感に対してすら過剰に執着するタイプである。彼らは自分の身体に対する素朴な態度を失っているが、実は、過剰なコントロールを試みないことにこそ、私たちの身体は適切に機能しているのである。注目すればするほど身体的変調は強く感じられるという悪循環を引き起こす傾向にあるので、神経症・不安・抑うつなどを起こしやすい。