フロイト

リビドー論

 フロイトは次のように考えた。
 まず、生物である人間は、種族維持のため生殖行為へと人間をかり立てる性本能を生得的にもっている。フロイトは、この本能をエネルギー的な性格をもっているとし、リビドーという名称をつけた。
 リビドーが発散されなければそれは蓄積され不快感を引き起こし、リビドーが発散される時には、緊張が解消されて快感が感じられる。
 個体は最終的には「異性との生殖行為によって最もリビドーを放出することができる」すなわち、異性との性行為に最大の満足を感じ、それを強く求めるような性エネルギーの体制へと形作られて行かねばならない。

発達段階

 フロイトは、新生児の状態は「リビドーを最もよく放出しうる特定の経路」は形成されてないと考えた。いわば、この時期は乳児は身体のどこにおいてもリビドーを放出し快感を感じうるのであり、この状態を多形的倒錯と呼んだ。
 このような状態から、最終的には、性器という特定の経路の刺激によってリビドーを放出し得、かつそれが異性の他者との性交によって最も発散されるというように体制化されていかなければならない。
 まず、「性的を最もよく放出し得る特定の経路がない」という状態から、特定の器官へと放出経路を限定して行かねばならない-つまり、ある器官が性的快感を最も感じうる特権的経路とならなければならないわけで、これを性感部位と呼ぶ。最初の性感部位となる身体部位が口唇である。
 この時期、乳児の主要な活動は、口から母乳などの栄養を摂取することである。このために口唇部が敏感になり、乳児は口による吸引に最大の快感を感じるようになる。
 フロイトは、口唇部位が特に性的感覚の敏感な場所として最大のリビドー放出経路となる時期を口唇期という発達段階として位置づけた。さて、「異性との生殖行為に最大の快感を感じる」という体制を実現すべく徐々に形作られて行く過程は、すべての人間に普遍的な段階があるとするフロイトは、口唇期に続き、肛門期・エディプス期・性器期(男根期)という性欲の四つの発達段階を想定した。

パーソナリティとの関連

 この段階を踏んで発達プロセスのたどっていくためには、それぞれの段階の最後に、そこで性的快感を得た放出経路が放棄され、次の性感部位を主役とする段階に進む、というプロセスをとらなければならない。もしも特定の段階において、そこで得られる快感があまりにも個体にとって素晴らし過ぎ、その性感部位が満たしてくれる快感を放棄できなくなると次の段階に移ることができなくなる。
 またそれとは逆に、その発達段階において体験できる快感が不十分すぎると、同様にそこでの性感部位を放棄して次の発達段階に進むことができなくなってしまう。多過ぎもしないが十分な満足を感じうることが、次の発達段階の性感部位に性的満足を求められるようになるために必要であると考えられた。
 上記のような適度な満足がなかった場合には、 その性感部位を捨てられずに「固着」し、発達がそこで足止めをくらった段階にとフロイトは考えた。つまり、その発達段階における性的激動の放出を快感の源として手放せないままになってしまう。スムーズに次の発達段階に進まない時には、その段階に特有のパーソナリティー構造が残存したパーソナリティーが形成されるとフロイトは考えた。
 フロイトの発達論のパーソナリティー理論の根拠は上記のようなものである。つまり、病的パーソナリティーとは、より早期の発達段階を脱却できず、その特徴が残ってしまうというメカニズムによって形成される-このようにあるパーソナリティー形成の原因は「その人が生育歴の中でどのような発達過程をたどったのか」に求められるという発達論的な視点、ならびに特定の発達上の偏りが必然的にあるパーソナリティー特徴に結びつくという発想は、ここまでに述べた記述的精神医学の系譜の中では希薄だったものであり、後の精神分析の流れはいわば発達論的パーソナリティー障害形成論というべきこの発想の上に立つことになる。
 たとえば、口唇期に固着した場合、依存的なパーソナリティー特徴を生み出す、とフロイトは考え、これを口唇期性格と呼んだ。
 口唇期性格とは口唇部分を主要な性感部位とする発達段階に固着が生じ、この時期のリビドー体制の特徴を色濃く残したパーソナリティーである。
 その根本的な特徴は、母親の母乳を飲むという口唇期の基本的体験から、この固着への固着は、「他人から好意を受け取る」という対人関係を基本とするようになることである。
 この性格者は、まず他人が自分に好意を提供してくれるということに期待する。一言で言ってしまえば甘えん坊である。他人が自分に好意をもっていてくれるかどうかをとても気にする。そして、好意を持たれていると信じられれば、楽天的で明るく振る舞うことができる。このように、常に自分ではなく「相手は自分のことどう思っているか」という相手の思惑に関心があり、他人の顔色をうかがい、他人に振り回されやすいという他人中心の精神生活を送る。
 一旦、他人に嫌われていると思ってしまうと途端に落胆し、自信を失い、落ち込んでしまう。このように、楽天的なそう的時期と悲観的なうつ的の落差が激しい。
 フロイトは、このような特徴を備えている性格を口唇期性格と呼んだ。

自我と防衛機制

 ところで、各性欲の発達段階においては単に「特定の身体器官が主要なリビドーの放出路になっている」というだけには止まらない。そこには、外界から親のしつけなどによるその時期特有の圧力とそれにそれと、妥協しながら性的リビドーを性的快感を最大限に得ようとする対抗的な自我の働きが起こり、その時期固有の思考・行動のパターンが形成される、と考えた。
 さて、次の肛門期-肛門を性感部位とする肛門期とは、トイレットトレーニングが開始される時期である。
 この時期は、乳児期とは異なり、子供が自力で排泄が可能な程度の身体機能が発達している。自発的な意志による行動が可能になっていることから、この段階において初めて「やるべきか、やらないべきか」という葛藤が生じる。
 同時に、この段階では、トイレットトレーニングが行われるなど、親の子供に対する指示・圧迫が口唇期に比べると、大いに強まり、この圧力に対してどう対処するかということがこの時期の幼児の心的体制を大きく左右する。
 もし、肛門を性感部位とするこの時期の快感を徹底的に追求しようとすれば、周囲を汚すのも構わずにやりたいときに大便をしまくる、ということになるだろう。しかし、実際には通常の幼児は自分の欲望の方にではなく、両親の命ずることの方に従う。そして、命令し、禁止し、あるべき姿を示す両親が、最初は自分の外部の存在だったものが、やがて自分の中で「おもらしをしないようにしなくちゃ。決まったところでウンチをしなくちゃ」というように自分自身の声となるに至る。このようにして、幼児の中に「欲望のままに振る舞う自分」だけではなく、それを制限しようとするものが生まれることになる。このようにして、最初本能を満たそうとしているだけであった幼児は、やがては自分自身に対して、本能充足に逆らう命令を下すようになる。この後天的に発生する、生物としての本能を(理想像や、禁止によって)御する心の装置をフロイトは超自我と呼んだ。
 この時期、子供の中で主要な関心事となるのは「大便を自分の体のなかに保持しておくのか、それとも放出するのか」という二つの行動様式である。
 幼児は、便をみだりに放出すれば親から罰せられることを知る。そのため、そのような「放すこと・放出すること」対して、「保持しておくこと」という逆の行動を強調することによって罰を逃れようとする。このように、「本能を満たしたい」という動因に加え、「理想にならい、罰されないようにしたい」という理想や禁止という動因の源である超自我が加わり更には「親に従って行動した方が現実的には得策だ」という現実的な判断が始まっていることになる。このような現実に従って欲望をコントロールし合理的判断を行う部位を自我という。
 自我は、超自我の非難を免れつつ現実的な利益が得られるように自らをコントロールする。欲望充足と禁止令違反による罪悪感とのあいだのバランスを取るためにさまざまな心理的テクニックを発達させるが、これを防衛機制と呼ぶ。この時期には「反動形成」という防衛機制が使われていることになる。これは、「本当にある欲求に反する行動を強調することによって、真の欲求をカモフラージュする」という方法である。日常的に言えば、大変腹が立っているのを相手に気づかれまいとして無理に笑顔を浮かべるようなものと比喩的に理解してもよいだろう。
 次の性欲の発達段階は、性器が主要な性感部位となる男根期である。この3番目の発達段階に対応するパーソナリティー類型に関しては、フロイトは突っ込んだ考察を行わず、主に後述するライヒが考察の対象とした。