ヤスパース(1883~1969)は、精神科医としてわずか4年間の臨床経験で、クレペリンに飽き足らず、精神医学の改変を目指す大作『精神病理学総論』を1913年に表し、その年からハイデルベルグ大学で精神医学を教え、二度と臨床には戻ることはなかった。ヤスパースは精神医学者として出発しましたが、病弱で診察業務が負担となり、10年足らずで哲学へと転向した人です。1921年に哲学科教授へと転向した。1937年には妻がユダヤ人であったことやナチスに対する批判的言動から、教壇に立つことができなくなる。抵抗姿勢を貫き、強制収容所収容直前に連合軍のハイデルベルグ侵攻により命拾いした。戦後、ドイツの戦争責任を問う評論活動で国内では賛否両論を引き起し、1948年にスイスのバーゼル大学の哲学科教授となり、その地で没した。在命中はハイデッガーと並ぶ実存哲学の巨頭とされたが、現代では哲学史における存在感は失っている。だが、精神医学者としては、戦後まで『精神病理学総論』の改訂版を出版し続け、今日ではアメリカでもドイツ古典的精神医学の中で特に方法論的な議論の中でたびたび論じられる存在となっている。

了解と説明

  クレペリンの体系を見ていると、人間の病的症状にだけ注目しているかのような印象を受けます。これに対して、同時代でも強い批判がありました。
 
 ヤスパースはクレペリンの病気の記述は病者の病的な面しか注目していないと考え、個人を全体的に理解するべきだと考えました。理解するべきなのは心だとしたわけです。患者に感情移入する了解を重視しました。ヤスパースは統合失調症病者の中にも普通の心理学(了解心理学)で理解可能な部分があるとしました。
 たとえば入院者が「家に帰りたい」と発言するときは、私たちはその人の気持ちを了解することができます。しかし、「暴力団に盗聴されている」と言われれば、「なぜそんなありえない事を言うのだろう」といぶかしい気持ちが浮かぶだけで共感は出来ません。
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 ヤスパースは、このような了解不可能なものに対しては因果関係の説明が試みられるべきだとしました。

精神分析批判

 ドイツ古典的精神医学の巨頭の中では、ヤスパースは、クレペリン以上のフロイト嫌いで、大学の講義でも「フロイトはマルクスと並ぶ20世紀の悪しき天才」と罵倒した。患者の言動の中で正常心理の延長線上で理解できる了解可能なものと病理から来る了解不可能なものを峻別しようとしたヤスパースにとっては、フロイトは、見かけ上のエセ因果関係で結びつけて精神現象全てが了解可能なものであるかのように演出する狂信的宗教であるとした。ナチスによる精神分析弾圧が終了しても、精神分析がドイツで復権することがなかったのは、ヤスパースの徹底的批判の影響が大きいとされている。