ライヒ

晩年は狂気だった?

 心理的なマゾヒズムを本格的に定式化したのは、フロイトの異端的な弟子、ウィルヘルム・ライヒである。ウィルヘルム・ライヒは、後に「宇宙にはオルゴン・エネルギーというエネルギーが存在し、そのエネルギーを集めるオルゴンボックスによって治療を行なえる」という妄想に走り、医薬品販売違反・裁判所侮辱罪(出廷命令を拒否)で逮捕され獄死した。しかしその初期の仕事は現代にも通用する堅実な性格理論を構築しようとした古典的著作である。

 ライヒは、フロイトのリビドー発達論は幼児性欲を口唇期・肛門期・男根期の三つの主要段階に区分し、その後になって各段階がそれに対応する攻撃性を伴う各層があることが明らかになった、と位置付けている。

 ライヒが、「どんな性格形態であっても、その基本機能は外界の刺激と抑圧された内的衝動に対する昇華である」と定義し、それは個人の発達の中に起源を見いだせる、としている。

1.ヒステリー性格

 セクシァアルなものが近づくと、普段は性的に挑発的な態度をあからさまにとっているのに、それとは逆に、受け身で不安定な態度をあらわにする。彼らは、強迫性性格者とは逆に、簡単に信じ込んではすぐにまたそれを放棄する。暗示を受けやすいので、その反応は不安定で予想しにくい。空想体験が活発であり、自分の空想を通じて病的虚言を行う傾向がある。精神的葛藤は容易に身体症状に転嫁しやすい。性的緊張が高い。ヒステリー性格者と心理的武装は脆弱なもので、強迫性性格者に比べると不安があらわになっている。彼らは、一見性的満足を得ようとする準備行動のように見えても、実は、「予測される性的行為という危険が本当に起こるかどうか」ということをテストするのに利用されているだけである。性的活動と見られるものは、実は、防衛的性的活動なのである。

 ヒステリー性格者は、昇華や知性的な仕事によって性欲を代償的に満足させるメカニズムを発達させていない。ライヒのヒステリー性格は現在のパーソナリティ障害と結びつくところは少なく、精神分析派のなかでも関心は低い。

2.強迫性格

 ライヒによれば、性格というものが、「精神的平衡を維持し、刺激から防衛する」という機能を果たすということをよく示しているのが強迫性格である。彼らは、事前のプログラムが少しでも変われば、不快・不安感を引き起こす。それが変化に対する適応を妨害し、個人の生産性を下げてしまう。衒学性のゆえ、学者にはまま見られるタイプだが、政治家にはめったに見られない。枝葉に対しても完全な対応を尽くさなければ気がすまないので、対象のどこに重点をおいてどこを捨てるかという注意の焦点の集中ができなくなる。「誤りを犯すまい」とするあまりに、重要なポイントに対する思考力が低下し、本質を究明することは不可能になる。これは、知的活動を損なうが、抽象的論理的思考において平均以上の能力によって代償されているので、創造的能力よりも批判的な能力のほうが発達する。

 貪欲と倹約が強迫性性格者の顕著な傾向である。ライヒは、これらはだらしなさ・経済的管理能力の欠如などを本来の特徴とする肛門期に対する反動形成としてつくられるものであるとしている。肛門期サディズムが、極端な几帳面さや厳格性の中で実は満足させられている。彼らは優柔不断、懐疑心の強さなどを見せ、感情反応は鈍くなる。これは、自らの生活に対する拘束からなる。ライヒが、彼らは「観念からの感情の分離」という方法により強力な防衛を実行しているのであり、外見上の観念麻痺は決して受け身性を示すものではない。そのために彼ら自身にとって許容しがたいはずの観念が頻繁にしないし節減することがあるが、それを話す彼の口調はまったく淡々とした評論家風のものである。感情を込めて話せば、未解決な興奮を刺激し、自己制御を失うことや偶発的なことが起こるのでないかという恐怖を持っている。

 ライヒは、マゾヒズムに関しても論じているが、これはDSMで問題になったような性格傾向としてのマゾヒスティック・パーソナリティというよりも性的嗜好としてのマゾヒズムに強く結びついている。

3.ナルシズム

 ウィルヘルム・ライヒは、フロイトの高弟として出発しながら後に破門されマルクス主義に接近した。「ナルシスト=精力的な野心家」という定式化を最も強力に推し進めたのはライヒであろう。邦訳『性格分析―その技法と理論』では、ナルシストには『男根期的自己愛性格』という訳語が与えられている。

 ライヒによれば、彼らは「最も精力旺盛な性格」なのである

 まず、彼らの外見はクレッチマーがいわゆる闘士方と呼んだような格闘家的なたくましい外見をしている。通常の顔の表情のパターンは男性的な容貌であり、鋭くタフネスな印象を与える。

 第一印象は活動的・精力的というものである。ダイナミックで他人にも強い印象を残す。
 その行動ぶりは自信たっぷりで傲慢である。彼らの著しい特徴は「攻撃的な勇気」の持ち主であり強い冒険心である。

 この傾向が病的なレベルに達していなければ、パワフルで自由な攻撃的な活動によって生産的な業績を上げる(ライヒが具体的にあげているのはプロスポーツ選手・軍人・飛行家などである。ライヒはそこまで明記していないがここでは企業家などのビジネスの世界における成功者を指しているのではないだろうか)。

 ライヒは、さらにはナポレオンやムッソリーニなどの攻撃的な豪腕政治家をこのタイプであるとしている。一方で「近代歴史上の性的殺人犯の大部分は、この性格型に属している」と主張している。ライヒに言わせれば、このタイプの行動が社会によってそのエネルギーに対するどのようなはけ口が用意されているのか、ということに彼らの方向性がかかっているのである。

 ライヒはこの性格タイプの根本的な特徴をリビドー・エネルギーが過剰に算出され、それによって攻撃的な強い行動をとりうる、というところに見ている。いわばエネルギッシュなことこそナルシストの根本的な特徴であり、それが政治家や起業家、プロスポーツ選手のような成功する方向に行くか、犯罪者のような失敗する方向に行くかは、その人物と社会との相性次第、という見方をしているのである。

 ミロンは、ライヒの意義を、「パーソナリティーこそ根本的なものであり、症状的なものは、パーソナリティーから派生したもの」というそれまでにはなかった主張をしたことである。ライヒは、性心理的葛藤に対する不適応的な神経症的防衛のパターン(ライヒのいう神経症的ではない葛藤への対処とは、唯一、性行為でオルガスムスを感じることしかないのだが)がその人の行動全般を覆い尽くすに至り、そのパターンのセットこそが性格なのだと考えたのである。