矢幡 洋(やはた よう)(臨床心理士)

精神病院の廃院時、入院者約120名移送の責任者でした

 30代の初めごろに体験した精神病院の倒産は僕にとっては大きな出来事でした。逮捕者も出ましたし、自殺者も出ました。
 
 逮捕されたのは、その精神病院(今は亡き、名護浦和病院)の事実上のオーナー(院長は経営実権のない「雇われ院長」で、自分自身がアルコール中毒でした)でした。 「詐欺容疑で指名手配」と沖縄の地方紙に大きく書き立てられました。僕たちがまだ入院者には極秘にしていた段階で、臨床経験がほとんどない医者が電撃的に入院者を集めて「病院が倒産した」と公表し、入院者はパニック状態に-その夜、深夜勤務で仮眠をとっていた僕を(看護職員が次々に辞めて行き、三交代勤務を維持する要員として僕も看護部のローテーションに助っ人に入っていました) 相勤者がゆり動かしました。ある統合失調症の患者さんが病院正面玄関の木の枝で首をつっていました。

 その後、僕はローテーションから抜け、元来の相談室長勤務に戻り沖縄中の精神病院に電話をかけて空きベッドがある病院を確認し、そこに連日病院バスで職員が入院者を転院させていきました。

 賃金が出なくなってから4ヶ月経ち、もう残った職員を引きとどめておく事は出来なかったからです。

 30代初めの出来事でしたが、未だにこの倒産劇を舞台にした夢を繰り返してみます。

 いきなり話が前後しましたが、僕は多分ノンフィクション作家でもあるのだろうと思います。一応、 『数字と踊るエリ』が第33回講談社ノンフィクション賞の最終候補になっています。病院倒産のことは、断片的に他にも触れてあるのでもうオープンにします。もしかしたら今後ノンフィクション作品の題材にするかもしれない事は、ネタバレを恐れてここにはまだ書かないことにします。
 以下、題材にする意図のないことに関してのみ書かせていただいて自己紹介に替えさせていただきます。ご了解ください。

とりあえず履歴書的なことを書きますと

 1958年東京生まれ。京都大学心理学科卒。精神病院の相談室長、明治生命厚生事業団ウェルネス開発グループ副主任研究員(リラクゼーション指導研究)などを経て、矢幡心理教育研究所所長。臨床心理士。『数字と踊るエリ』が第33回講談社ノンフィクション賞最終候補となる。

小学生の頃、聖書で目を悪くしました。失明の恐怖、棄教、鬱状態

 教会に通い始めたのは、小学校1年生の時だったように思います。親がクリスチャンだったわけではありません。 「自分は罪深い存在だ」と思ったからです。なぜそう思ったのか、具体的な根拠はありません。自分に対する基本的な感覚のようなもので、説明できないものです。

 小学校の間、毎晩寝る前にベッドに寝そべって小さなライトで聖書の細かい字を読むという習慣をほとんど1日も欠かしませんでした。僕が、人生で1番繰り返して読んだ本は聖書です。しかし、元来の近視の遺伝もあって、ひどい近眼になってしまいました。メガネを外すと、手探り状態です。僕の思春期危機は、高校時代に失明の恐怖に取り付かれた事、学校でのいじめが重なって約2年間「悲哀以外の感情が浮かばず凍りついたような状態」が続くというものでした。

 中学生の時に洗礼を受けたのですが、高校2年生の時に、棄教し、ついに聖書を読むことをやめました。信仰を捨てたことには、特にドラマはありません。 「疲れて続けられなくなった」といった、自然消滅のような形でした。
 現在、 「正常眼圧内緑内障」と言う軽い眼病を持っています。不思議なもので、この年齢になると「体のあちこちに、ガタが来ているんだなぁ」と言う程度にしか感じません。

「スラム」通いで心理療法と出会う

 話の流れで、大学時代に飛びます。

 昔の学生運動の最後の頃に京都大学文学部心理学科に入学したのですが、大学は履修者の登録ができないほど左翼活動家によって荒らされていました。学年の最後になって掲示板にレポート一覧が張り出され、書けそうなレポート題材を選んで提出すると単位が出ました。こんな状態だったので、大学にはほとんど行かず、演劇活動以外には、家に閉じこもって朝から晩まで読書と音楽にふける毎日を過ごしました。

 視力障害者の音読ボランティアなどもやりましたが、そのうち大阪の釜ヶ崎まで行ってボランティア活動をしました(当時は、 「スラム」と呼ばれていたので、その名前で呼びます。現在、通常はどのように呼ばれているのか「西成区あいりん地区」が今でも存在するのか、よく知りません) 。

 もっぱら、夜間パトロールをやっていました(寒い時期になると、路上生活者の中に命の危機にさらされている人もいました。そういう人を見つけて、病院に連絡します) 。僕のボランティア活動は、その地区のキリスト教会の活動に参加したものです(棄教者である事は隠していました) 。バラック小屋のようなその場所で断酒会にオブザーバー参加したことが生まれて初めての心理療法との出会いだったと思います。やがて、その教会の一角を借りていたカウンセラーから箱庭療法を2年以上受けました。

 大学生活も5年目でした。ほとんど失跡に近い格好で、夜、船に乗って沖縄に向かいました。その直前まで、箱庭療法は受けていました。
 ちょうどうまく、最初に書いた沖縄の精神病院倒産の話につながったと思います。

クラシックはラフマニノフ、J-POPは朝倉理恵とレベッカ、マンガは『日出る処の天子』、絵本は『よあけ』

 
 趣味的なことです。

 小学校4年生の時からクラシック音楽好きです。6年生の時にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聞いて涙をこぼし、死ぬときには交響曲第2番の第3楽章をリピートしてほしい。他、シベリウス・ベートーベン・フォーレ。でも最近気がつくとアメリカのミニマム・ミュージックばっかり聞いています。癖になりますね、あれ。

 とにかく音楽なら何でも好きで、ポップスでは、唯一ファンレターを出したことがある朝倉理恵(80年台アイドル時代で全然売れなかった人)と最近知ったレベッカかな。もっとも、Perfumeには子供の名義でファンクラブに入っていて、コンサートには5年連続で参戦。

 マンガは山岸凉子先生の『日出る処の天子』以外にはありえません。単行本が出るたびに泣きながら読んでいました。

 筋金入りの絵本マニアです。20代には大人向けの絵本、40代には子供の教育のための絵本。1500冊ぐらい読んだと思います。シュルビッツ『よあけ』が出会いでした。衝撃でした。あと、谷川俊太郎が文を書いている『おばあちゃんの絵本』、ボーンスタインの『ちいさなちいさなぞうのゆめ・・・です』
を併せて僕の3大絵本です。

 あとは、軽く履歴書的なことを書きます。時間があったら、また何か書き足します。

履歴書的なことを、軽く

 千葉大学、東洋大学、西武文理大学など、非常勤講師歴は10年以上に及ぶ。カウンセリング活動のかたわら行っている著作活動も、39冊の単行本が今まで60近いマスコミで書評に取り上げられるなど、作家として高い評価を得ている。「アエラ」「夕刊フジ」「サンデー毎日」などに社会事件に対する心理学的なコメントを紹介されている。

 「中央公論」「世界」「論座」「正論」など、総合誌への掲載も多く、読売新聞・毎日新聞などの「論壇の動き」で大きく取り上げられるなどオピニオン・リーダーとして評価されている。

 テレビ出演は、情報番組、バラエティー番組共に多数にのぼり、TBS「スパスパ人間学」「ニュースアングル」、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」「Qさま!」、日本テレビ「ナカイの窓」(平成24年9月~25年9月レギュラー出演)「有吉ゼミ」など、TV出演も多い。
by 矢幡洋